5月11日(日)、18日(日)にいせひでこさん をお迎えして『ルリユールおじさん』(2006年理論社刊 現在講談社刊)のギャラリートーク&サイン会を開催いたしました。お天気にも恵まれ、中庭を開放してたくさんの方に参加いただきました。11日はゲストに『あの路』の作者 山本けんぞうさん、18日は柳田邦男さんをお迎えしてご一緒に当時のことをお話しくださいました。
老ルリユールからプレゼントされたフランス語版の絵本
2004年、旅先のパリの路地裏で出会ったひとつの「窓」。窓ガラスに向こうに見える美しい本たち。この「ルリユール(製本)」の窓に惹かれ、そこに物語があると信じ3年間通い続けたいせひでこさん 。どんな話になるかわからなかったけれど、絵本にするためには舞台が目に見えるように描かなくてはと、6区の街をすべて描かれたそうです。
そして、滞在したホテルの窓から見える樹齢400年のアカシアの木の下を女の子が走る姿を目にした時に、このストーリーが動き出しました。大切な植物図鑑が修復されるまでの少女ソフィーと老ルリユールとの交流の物語が誕生したのです。
ルリユールが1冊の絵本を子どものために全身全霊をかけて再生し、子どもの未来(植物学の研究者になったソフィー)をプレゼントするという再生と絆の物語は、日本だけでなくフランスでも深い感動を呼びました。2007年にはフランス語版の絵本が刊行され、パリでもたくさんの書店に並びました。そして、市庁舎で原画展が開催されました。パリ展には当時のミッテラン大統領の奥さんも来てくれたり、パリの日本人学校の親子や郊外にある日本人幼稚園の子どもたちも訪れたそうです。柳田邦男さんも当時の様子をお話しくださいました。
フランス語版の絵本(左)
この絵本は、当時そばで通訳をしてくれた山本けんぞうさん、柳田邦男さん、植物学者のジョルジュ・メテリエさんなどたくさんの人に支えられて幸せな本づくりができた作品だったとと語られました。だからこそ、19年経っても色褪せず皆に愛され読み継がれる絵本となったのでしょう。
ソフィーと老ルリユールとの噛み合わない会話は、当時片言のフランス語のいせさんとルリユールのアンドレ・ミノスさんとの会話そのものであり、山本けんぞうさんの正確な通訳がなければ、60ものルリユールの工程を理解することができなかったし、こんなに緻密な絵本はできなかったと語られました。
一人の人間が周りに支えられて生み出した物語は、枝葉が伸びて一冊で終わるのではなく、『大きな木のような人』『あの路』『まつり』とつながっていき、読者も育ててくれているといういせさんの言葉が印象的でした。
今回、山本けんぞうさんから嬉しい報告がありました。トークの前日に老ルリユールのアンドレ・ミノスさんの工房がその後どうなっているかを調べてみたら、サイトがあってアンドレさんは亡くなられていましたが、息子さんがブルターニュでルリユールを継いでいることがわかりました。2006年当時、息子さんはデジタルの方に進みルリユールを継ぐとは言っていませんでした。サイトを見ると工房の歴史の中に、いせさんの『ルリユールおじさん』のこと、いせさんからの手紙も載っています。息子さんにとっても『ルリユールおじさん』の絵本が誉で、ルリユールを継ぐことになったのではないだろうかとお話しされました。
ミノスさんのサイトです。 https://www.minos-relieur.com
また、サイン会の時に、この絵本に出会ってルリユールの研究者になられた女性がいせさんに会いにこられたのも嬉しい出来事でした。老ルリユールがソフィーに未来をプレゼントしたように、いせさんの絵本『ルリユールおじさん』もたくさんの人に未来をプレゼントしているのですね。
いせひでこさん、山本けんぞうさん、柳田邦男さんのお話を聞いていると、当時のわくわくするような絵本作りの高揚感が伝わってきました。初めからテーマをもたずに時間をかけて丁寧に作られた絵本、今ではなんと贅沢で幸せなことでしょう。でも、だからこそ皆に愛され読み継がれる絵本になったのだと思います。
今回、トークイベントの3回目(5/25)が、中止となってしまいました。申し訳ありませんでした。
いせひでこさん、山本けんぞうさん、柳田邦男さん、講談社さん、ありがとうございました。
参加くださった皆さん、ありがとうございました。